「聞こえない音」道新 朝の食卓
去年の夏、弟子屈に出かけた時のこと
道の駅の近く、林の中の駐車場に車を止めて外に出ると 妻が「セミの声がすごいね!」と
「えっ?」
私は妻が何を言っているのか、まったく理解できませんでした
「何?」
「セミがうるさいぐらい鳴いてるでしょ」と妻
私には妻の言う『うるさいぐらい』のセミの声が全然聞こえていなかったのです
気が付かなかった、のではなく妻に言われた後も 周囲でうるさく鳴いているという そのセミの声が「聴こえない」ことに愕然としました
7年近く前、無理なダイエットがたたって頭部の左半分に帯状疱疹を患いました
(絆創膏を貼る前は自分でも見たくないおぞましい容貌です)
その後遺症で、毎年の定期健診のたびに左耳の聴力異常を指摘されるようになりました
特に高音部がダメみたいなのですが、右耳を枕に押し付けて寝ていると目覚まし時計のアラームが鳴っても気付かないほど、左耳では音が聞こえにくくなってしまいました
そして60代半ばにさしかかり、(自覚が無いままに)右耳の聴力も生理的に衰えてきているという衝撃の事実を知らされたのが、弟子屈のセミの声なのです
特定の音域が聞こえなくなっている、聴き取れなくなっている状態というのは、そのことを体験しないと本当の理解は難しいのだと痛感します
道内紙に載ったコラムを読んで、それを改めて思ったのでした
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