オレたち猛禽族
12:18
カモメ(矢印)よりも明らかに大きく、そして悠然と空に浮かび飛ぶ姿
元町に猛禽類が営巣しているらしいことは、この地区に転居して間もない3年ほど前に知りました
海に生まれ、土に還る
身近に自然を感じられて、釧路は本当に楽しい街です
12:18
カモメ(矢印)よりも明らかに大きく、そして悠然と空に浮かび飛ぶ姿
元町に猛禽類が営巣しているらしいことは、この地区に転居して間もない3年ほど前に知りました
海に生まれ、土に還る
身近に自然を感じられて、釧路は本当に楽しい街です
1週間ほど前のこと
「本日貸切」と貼られたドアガラスの向こうに、黄色服の人影が見えます
余市にあるワイナリー ドメーヌ・モンの山中敦夫さんとKスタッフがワイン会の準備中
KONシェフも山中さんとワインの状態を確認しています
カウンターにずらりと並ぶ、山中さんの丹精したワインたち
左から
モンルージュ カストゥグラン 2018
ドングリ 2018(2本)
モンルージュ カストゥグラン 2019(2本)
ドングリ 2019(2本)
乾杯のワインは、有機栽培ナイアガラ100%で造られた発泡性のペティアン「モンペ 2020」
天候に恵まれワイン用ブドウの当たり年だったという2020年、ナイアガラ特有の良い香りとすっきりとした飲み口で、お値頃なこともあって私も大好きなワインのひとつなのです
モンペの後に供されたケルナーの微発泡「モンケルン」
もともとは余市のふるさと納税返礼品用に作ったものだそうで、地元余市以外では販売していないとのこと
生牡蠣ととても合って素晴らしく美味しいです!
昨年のワイン会に引き続き登場したモンガク谷ワイナリー
10Rで醸造した2017年のモンガク谷で、ピノノワール主体の混醸辛口白ワインです
ブラインドで供されたワイン
とても華やかで特徴のある香り、「妖艶なボジョレーヌーヴォーのよう」との声が聞こえます
正体は、セミ マセラシオン カルボニックで仕込まれたメルロー、その名も『モンロー』!
仕込んだのは2樽、ボトル500本少々の製造だそう
味わえて、幸せです
そして、ドメーヌ・モンのフラッグシップワイン!
生唾をゴクリとのんでしまうほど、魅惑的な色あいです
自社畑のピノグリで仕込んだ「ドングリ」
飲み頃は3,4年ほど経ってからだそうで、味わいが「春・夏・秋・冬」と四季のように熟成によって変化するのを楽しんでもらいたい、とのこと
お肉に合わせてモンルージュ カストゥグラン2019を
この2019はピノグリのヴィナッチャとともに仕込んだのだそう
このワインも本当に美味しいです
魚介とワインKのKONシェフが大事に保管していたドメーヌ・タカヒコのナナツモリ2017
デンマークにあるレストラン、あのノーマにオンリストされたワインそのものです
ドメーヌ・タカヒコで研修した山中さんが、師匠のその貴重なワインを注いでくれます
釧路でこのようなワイン会が開かれるのも、このお二人の御尽力によるもの
この夜限定で購入(ひとり1本)できたモンケルンを手に、幣舞橋で記念撮影
※ このモンケルンは魚介とワインKさんで味わうことができますよ~
0:11 (妻撮影)
とうに寝入っていた深夜0時過ぎに妻に起こされ「庭に鹿が来てる」と
なんでも、 ゴツゴツと壁からうるさい音がして、夜中になにやってるんだ!と私のことをハタ迷惑な騒音魔だと疑ったらしい
(とんだ濡れ衣を着せられるところでした…)
でも外のセンサーライトの点灯に気付いて窓から覗いたら、お隣さんとの間の庭にエゾシカがいて、そいつが壁ドンならぬ壁ゴツの犯人だと理解したのだそう
その後、奥庭に移動したエゾシカたちを二人でライトセンサスしたら、全部で7頭の大所帯
みんな健在だったんだ!
8:56
日が昇ってから、エゾシカたちがいたところを実地検分
お隣さんとの間の庭にフキノトウを発見
ゴツゴツされたと思われる辺りの、家の外壁には特に問題なし
次に奥庭を探索したら、コカ・コーラのガラス瓶を発見
例年、フキノトウが畑の作物のように顔を見せる場所なのだけれど、今年はまだひとつも出ていなくて、代わりにこのボトルが
今日見るまで、その存在にまったく気づきませんでした
これらの特徴から1970年代のコカ・コーラの空き瓶だと判りました
【参照サイト】http://www.ne.jp/asahi/com/koyama/coke/jp/c02.html
そう、まさしく私が一番なじみのあるボトルなんです!
高校時代、部活が終わって帰りの通学列車を待つ間、駅前の商店で仲間とこの500mlボトルのコカ・コーラをよく飲んだものでした
ホームサイズと謳っていましたが、当時はみんなこれを一人で がぶ飲み(ラッパ飲み)してたんですよね
青春のコカ・コーラ
懐かしくて、思わずその頃にタイムスリップしそうでした
去年の夏、弟子屈に出かけた時のこと
道の駅の近く、林の中の駐車場に車を止めて外に出ると 妻が「セミの声がすごいね!」と
「えっ?」
私は妻が何を言っているのか、まったく理解できませんでした
「何?」
「セミがうるさいぐらい鳴いてるでしょ」と妻
私には妻の言う『うるさいぐらい』のセミの声が全然聞こえていなかったのです
気が付かなかった、のではなく妻に言われた後も 周囲でうるさく鳴いているという そのセミの声が「聴こえない」ことに愕然としました
7年近く前、無理なダイエットがたたって頭部の左半分に帯状疱疹を患いました
(絆創膏を貼る前は自分でも見たくないおぞましい容貌です)
その後遺症で、毎年の定期健診のたびに左耳の聴力異常を指摘されるようになりました
特に高音部がダメみたいなのですが、右耳を枕に押し付けて寝ていると目覚まし時計のアラームが鳴っても気付かないほど、左耳では音が聞こえにくくなってしまいました
そして60代半ばにさしかかり、(自覚が無いままに)右耳の聴力も生理的に衰えてきているという衝撃の事実を知らされたのが、弟子屈のセミの声なのです
特定の音域が聞こえなくなっている、聴き取れなくなっている状態というのは、そのことを体験しないと本当の理解は難しいのだと痛感します
道内紙に載ったコラムを読んで、それを改めて思ったのでした