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国策としての棄民

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1961年11月、移民船「サンパウロ丸」が神戸港を出航するところから本編は始まる。夢の別天地として当時の日本政府、外務省移民課と海外協会連合会(現・JICA)が喧伝したブラジルへの移民を乗せた新造船である。入植予定地は、家や灌漑設備も完備された農業最適地との説明。しかし、実際に移民たちが送り込まれたのは、現地人も寄りつかない過酷な不毛の地であった。改善要求、いや悲痛な助けの声を現地の日本大使館は黙殺。マラリアやアメーバ赤痢などに罹り、「入植者」の大半は死亡、残された家族も離散する。その記憶を受け継いだ者たちが、43年後に日本政府・外務省に対し復讐を企てた・・・ 

先月半ばからチマチマ読んでは閉じを繰り返し、まだ上巻の途中。昭和20年の終戦に伴う外地からの引揚げ者増加で困った日本政府が執った政策が、余剰国民の海外への棄民。政府にとって「国民」は道具でしかない、無用なら適当に処分するということ。なんか凄まじい物語だなと思っていたら、現実の話でした。昨日の夕刊。移住先はドミニカですが、当時のキャッチフレーズは「カリブ海の楽園」、広大な農耕地の無償分配を政府は謳っていたそうな。事実は、小説よりも怖い。Cruel_emigrants

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